東京地方裁判所 平成5年(モ)20076号 決定 1994年7月22日
申立人(被告)
森田暁
外一名
右申立人二名訴訟代理人弁護士
奥平哲彦
同
舟辺治朗
同
小林正啓
申立人(被告)
濱嶋健三
外一名
右申立人二名訴訟代理人弁護士
大井勅紀
同
熊倉禎男
同
富岡英次
同
辻井幸一
同
吉田和彦
被申立人(原告)
乙川正夫
外一名
右被申立人二名訴訟代理人弁護士
竹内桃太郎
同
山西克彦
同
伊藤昌毅
同
大澤英雄
主文
一 原告らに対し、平成五年(ワ)第一四三三〇号株主代表訴訟事件の訴え提起の共同の担保として、この決定の確定した日から一四日以内に、それぞれ左記の金員を供託することを命ずる。
1 被告濱嶋健三及び同岡田英夫に対する訴状請求原因事実第三の一に基づく請求について、それぞれ金一〇〇〇万円。
2 被告齋藤洋、同森田暁、同濱嶋健三及び同岡田英夫に対する訴状請求原因事実第三の二に基づく請求について、それぞれ金一〇〇〇万円。
二 被告らのその余の申立てを却下する。
理由
第一 申立の趣旨
原告らは被告齋藤洋、同森田暁、同濱嶋健三、同岡田英夫に対し相当の担保を提供せよ。
第二 事案の概要
一 本件本案訴訟の概要
本件本案訴訟は、小谷光浩の主宰する光進等の仕手グループの利益のために蛇の目ミシン工業株式会社の資産を提供するなどして同社に損害を与えたとして、株主である原告らが、被告らに対し同社の取締役としての責任を追及する株主代表訴訟である。その請求の趣旨及び請求原因は別紙のとおりであるが、各請求原因事実の骨子は次のとおりである。
1 小谷による三〇〇億円の恐喝被害
小谷は、蛇の目ミシン株式の買取りを約束した被告森田作成の念書とともに右株式を暴力団に売却し、その取消に三〇〇億円必要であるとして、被告齋藤らを脅迫し、その結果、平成元年八月、三〇〇億円が旧埼玉銀行系列のノンバンクである株式会社首都圏リースから株式会社ジェー・シー・エルに貸し付けられた上、株式会社ナナトミを介して光進に交付された。右首都圏リースとジェー・シー・エルの貸借につき、蛇の目ミシンが保証するとともに本社ビルに抵当権を設定した。右三〇〇億円を光進から回収することは当初から事実上不可能と認識され、ジェー・シー・エルも特段の資産を有していなかった。その後、平成三年になって、蛇の目ミシンが首都圏リースの債務を引き受けた。
右蛇の目ミシンの保証及び抵当権設定については、適法な取締役会決議を欠いており、首都圏リースを含む旧埼玉銀行側は右融資の実体及び手続の違法について悪意であったから、民法九三条但書の類推適用により、右保証及び抵当権設定は無効である。被告濱嶋及び岡田は、右事情を知りながら、旧埼玉銀行側に対し無効を主張せず、取締役会において主導的に債務引受契約締結の決議を成立させた。
2 東亜ファイナンスに対する担保提供
旧埼玉銀行系列のノンバンクである東亜ファイナンス株式会社が蛇の目ミシンの株式一〇〇〇万株を担保として光進に二五〇億円を貸し付けていたが、平成二年六月一四日、蛇の目ミシンの関連会社であるニューホームクレジット株式会社が右債務を引き受け、蛇の目不動産株式会社が担保提供をした。ニューホームクレジットには右債務を弁済する資力はなく、蛇の目不動産ひいてはその一〇〇%株主である蛇の目ミシンがこれを負担することになり、同額の損害を被ることは当初から明らかであったが、被告濱嶋及び岡田は、旧埼玉銀行側の意向を受けて蛇の目ミシン側の動向を威圧して、平成四年六月一一日、右債務(一部弁済により残額二二二億円)を確認・弁済する旨の協定書を銀行側と締結させて、蛇の目ミシンに二五〇億円の損害を負わせた。
3 光進のミヒロに対する債務の肩代わり
小谷は、蛇の目ミシン株式の買占め資金をミヒロファイナンス株式会社から借り入れていたが、平成元年九月、ジェー・シー・エル及び蛇の目不動産が右借入のうち六〇〇億円の債務引受をし、平成二年三月これがジェー・シー・エルの債務として一本化された後、平成三年の取締役において、蛇の目ミシンが右債務のうち一三〇億円を保証する旨の決議を行い、蛇の目ミシンに同額の損害を与えた。
4 日本リース(ジャパン・エル・シー・ファイナンス)に対する担保提供
平成二年六月から七月にかけて、ジェー・シー・エルが小谷の日本リース(ジャパン・エル・シー・ファイナンス)に対する三九〇億円の債務を肩代わりし、蛇の目ミシンの小金井第二工場の土地建物を担保提供した。そして、平成三年一二月、右不動産を二〇〇億円で処分して弁済に充てた結果、蛇の目ミシンは同額の損害を受けた。
原告らは、被告森田については右1、2の事実につき、その余の被告らは全ての事実につき、有責である旨主張する。
二 申立人(被告)らの主張
1 悪意の意義等について
株主代表訴訟は、制度本来の趣旨を逸脱した目的に濫用されるおそれを内包するものであり、これが濫用される場合には、取締役、監査役に回復し難い重大な損害を被らせ、ひいては、役員の適切な業務執行、会社の正常な運営に支障をもたらすことが予想されるため、このような事態を未然に防止する必要上担保提供の制度が設けられている。この点に鑑みると、総会屋等による会社荒らし等、濫用目的で提訴している場合にこそ担保提供制度が実効をあげなければならず、右濫用目的が明白である場合には、通常、役員に対する請求に理由がないと認められる蓋然性が高いということができるから、濫用目的が十分に疎明された場合には、役員に責任がないことの疎明は不要であるか、あるいは、ごくわずかな疎明で足りると解すべきである(被告濱嶋、同岡田)。
2 本件における悪意の有無
(一) 本件本案訴訟提起の目的等に関する主張
(1) 原告は、銀行の責任を追及することが本件本案訴訟の目的であると明言しているにもかかわらず、役員個人に対し代表訴訟を提起するのは、その本来の目的を逸脱しており、悪意がある(被告森田、同齋藤)。
本件本案訴訟が、小谷及び安田を除けば、旧埼玉銀行出身者のみを被告としているのは、銀行関係者に対する個人的反感・敵意、または同銀行に責任を転嫁し圧力をかける目的に基づくものであり、代表訴訟の濫用である(被告濱嶋、同岡田)。
(2) 原告乙川は、蛇の目ミシン再建同志会なる組織の提唱する経営刷新委員会メンバーであり、蛇の目ミシンの経営に関与することを望んでおり、本件訴えの提起もこれを目的としたものである。
(3) 原告乙川は、平成元年六月から平成五年六月まで蛇の目不動産の取締役の地位にあり、東亜ファイナンスに対する蛇の目不動産の担保提供及び両社間の協定書作成に関与した。原告乙川は、右の担保提供及び協定締結について格別問題がないと考えていたものと考えられるから、被告濱嶋及び同岡田に責任がないことを知っていると認められる。また、自らも責任の追及を受ける立場の原告乙川が訴え提起をするのは不自然で、真実、被告らの責任追及を最後まで行う意思を有しているとは考え難い。さらに、自らの関与を棚に上げて、自己だけを攻撃者の地位に置き、他の取締役の個人責任を追及することは、正義の観念に著しく反する行為であり、悪意がある。
(4) 丙山春子は、訴え提起時極めて高齢で入院中であったが、まもなく死亡しており、自らの意思と判断で本訴を提起したとは考え難く、名目的な原告と考えられる。このように他人の名前と地位を利用して訴訟を提起する者には、代表訴訟制度本来の趣旨・目的に従う意思はないと考えられるから、悪意がある。
(二) 責任原因の内容に関連する主張
以下のように、被告らには取締役としての任務違背等が認められず、原告らはそのことを知りながら本件本案訴訟を提起したものであるから、悪意がある。
(1) 小谷による大量の株式買い占め、経営参加の要求及び暴力団介入の脅迫という未曾有の異常事態に対し、被告ら当時の蛇の目ミシンの経営陣は、会社の社会的信用の保持が最も重要であるとの認識の下に、これを傷つけることのないよう配慮し、最善と思われる選択を行ってきた。本件本案請求は、会社が当時置かれていた困難な状況を無視して単に結果だけを論じ、被告らが具体的にどのような注意義務違反をしたのかを全く明らかにしておらず、請求原因の主張として不十分であり、これを立証することなど到底期待し難い。被告森田らが、旧埼玉銀行の利益目的達成のため送り込まれ、同銀行の意向を受けてその利益を図るため行動し、他の取締役も易々としてこれに従ったという原告の主張は、上場会社においてはおよそあり得ない非現実的、独断的憶測を前提とするものであり、このような荒唐無稽な主張に基づいて損害賠償請求訴訟を提起することは、原告が被告らに対して悪意を有しているとしかいいようがない(被告森田、同齋藤)。
(2) 被告岡田は平成二年六月、被告濱嶋は平成三年六月に蛇の目ミシンの取締役に就任したものであるが、その時すでにジェー・シー・エルは首都圏リースから三〇〇億円を借り受け、これがナナトミ、光進に貸し付けられており、ジェー・シー・エルの債務について蛇の目ミシンが本社ビルに抵当権を設定済であった。ナナトミは平成三年一月和議を申請して、同社からは金利の支払も受けられない状態で、ジェー・シー・エルには見るべき資産もなかったから、そのまま放置しておけば抵当権の実行を受けざるを得ない状況であり、そうなれば蛇の目ミシンの経営不安につながることは必至であったし、一方ではジェー・シー・エルの特別清算を行うことが税務上最良の策であった。このような状況のもとで、弁護士及び税理士の意見をふまえ、取締役会及び常務会等で繰り返し総合的に検討した結果、ジェー・シー・エルの首都圏リースに対する債務を蛇の目ミシンで引き受ける以外にないとの結論に達し、平成四年三月、取締役会において全員一致でその旨の決議をしたものであって、被告らには何らの善管注意義務違反も認められない。
右のように、債務引受当時、抵当権が存在していて、その有効性を疑う者はいなかったし、仮に、蛇の目ミシンの物上保証が取締役会決議の瑕疵のために民法九三条但書により無効であると主張できる可能性があるとしても、法律の専門家でない被告らがそのような判断をすることは不可能であった。また、原告らは、小谷に対する三〇〇億円の交付によって、すでに蛇の目ミシンに損害が発生していると主張しているのであるから、債務引受により新たな損害が発生することはない。
(3) ニューホームクレジットによる債務引受及び蛇の目不動産による担保提供は、被告濱嶋及び同岡田の取締役就任前のことであり、平成四年六月一一日、蛇の目不動産が東亜ファイナンス等と締結した協定は、金利減免を主な内容とするもので、新たに負担を生じさせるものではない。
(4) 光進のミヒロファイナンスに対する債務の肩代わりの問題は、被告濱嶋及び同岡田の就任前に実質的な債務負担が蛇の目ミシンの関連会社により行われているのであって、それらの行為について右被告らの責任を追及する余地はない。右被告らの就任後に行われた訴訟上の和解による蛇の目ミシンの債務引受は、ミヒロファイナンスとの間の訴訟を早期解決することによって、蛇の目ミシンが本業に専念し信用不安を排除するという点からも、ジェー・シー・エルの特別清算を平成四年三月までに終了させて約一〇〇億円の節税を図るという点からも、十分な必要性と合理性を有するものであった。
(5) 被告濱嶋及び同岡田が取締役に就任した時点で、既に、ジェー・シー・エルは日本リース(ジャパン・エル・シー・ファイナンス)に対して三九〇億円の債務を負担し、蛇の目ミシンはその物上保証として小金井第二工場の土地建物を担保提供しており、平成三年一月以降ジェー・シー・エルは金利も含めて支払能力を喪失していたのであるから、第二工場について抵当権が実行されることは必至の状況であった。右の状況の中で、蛇の目ミシンの信用不安を回避し、かつ、少しでも有利な価格で担保物件を換価して日本リース(ジャパン・エル・シー・ファイナンス)との間の紛争を解決しておくことが好ましかったため、取締役会の決議を経て日本リース(ジャパン・エル・シー・ファイナンス)と和解し、売却を行ったもので、右決議に賛成したことは極めて合理的な判断であり、取締役としての注意義務違反はない。
(6) 蛇の目ミシンでは、平成元年一月から株式問題解決のため弁護団が結成され、平成三年九月ころには株式問題に関する重要な事項について取締役会及び常務会からの諮問を受けるための株式問題処理実行委員会が社内に組織されていたが、本件訴えの請求原因とされている決定についても、常に複数の弁護士に相談し、右委員会に対する諮問を経てなされたもので、被告濱嶋、同岡田が他の取締役を威迫誘導することなど不可能であった。そして、原告乙川は、このことを熟知していた。
(7) 原告らは、東亜ファイナンス及び日本リース(ジャパン・エル・シー・ファイナンス)に対する各担保提供に関する請求については、蛇の目ミシンに対して商法二六七条一、二項所定の訴訟提起の請求をしておらず、却下されることが明らかであるにもかかわらず、訴えを提起しているのは、悪意がある。
3 被告らの損害及び担保の額について
本件本案訴訟を提起されたことで、被告らは、多くの時間と労力及び交通費、通信費、資料収集のための出費をし、弁護士費用もかなりの額にのぼり、今後もこれらを継続しなければならない。また、本件本案訴訟がひろく報道されたことで社会的信用を害され、再就職等にも支障があり、多額の損害賠償を請求される被告の地位に立たされたことの精神的苦痛は計り知れないもので、精神的損害も重大である。
右のように被告らの損害は甚大であり、一億円を下らない金額の担保提供が命じられるべきである(被告濱嶋、同岡田)。
三 被申立人(原告)の反論
1 悪意の意義について
商法二六七条四項にいう「悪意」とは損害賠償請求に理由がなく、かつ、原告が請求に理由のないことを知っていることをいうと解される。請求に理由があるか否かは本案における争点であり、担保提供の申立手続でその主張立証に深入りすることは制度の趣旨に反するから、請求が主張自体失当か、主張が荒唐無稽で認容の可能性が殆どない場合、あるいは、請求に理由がないことが疎明された場合に限り、原告が理由がないことを知っていたか否かを問題にすれば足りると解すべきである。また、原告の被告に対する加害の意思は「悪意」とは無関係である。
2 本件本案訴訟提起の目的等に関する反論
(一) 被告濱嶋ら旧埼玉銀行派遣の取締役は蛇の目不動産に対して株式問題の全容を知らせることなく、蛇の目不動産の負担において同行系列のノンバンクの債権確保に狂奔していたのであって、原告乙川ら蛇の目不動産の関係者は、蛇の目ミシンの一〇〇パーセント子会社の役員という地位にありながらも、いわれなき担保提供の効力に疑問を持ち、被告濱嶋らの訴状記載の行為について、ことあるごとに反対の意思を表明した。
原告乙川を経営刷新委員会メンバーの候補に上げた書面は、甲野が勝手に作成したもので、原告乙川は関知していない。
(二) 亡丙山春子は、蛇の目ミシンの中興の祖といわれた元社長の未亡人で、夫が築き上げた蛇の目ミシンが小谷や旧埼玉銀行によって現在のような状態にされてしまったことを無念に思い、本件代表訴訟提起の前には被告濱嶋らの取締役解任を求める株主提案権の行使をし、蛇の目ミシンが小谷に株式を買い占められ株主数が減少して上場基準を維持できなくなったときには、時価の約半額で蛇の目ミシンの従業員に株式を提供している。
3 責任原因の内容に関連する反論
(一) 被告濱嶋は平成二年四月には旧埼玉銀行を代表して小谷との折衝にあたり、岡田もこの席に同席したもので、いずれも旧埼玉銀行に在職していた当時から本件問題に深く関与しており、三〇〇億円恐喝事件の経過、ジェー・シー・エルの首都圏リースに対する債務について、蛇の目ミシンが物上保証をする必要性がなく、物上保証に関する取締役会が有効に存在していないことを十分に知っていた。したがって、被告らは取締役として、首都圏リースとの間で物上保証の効力を争うべきであった。
(二) 旧埼玉銀行が、光進の東亜ファイナンスに対する債務をニューホームクレジットに引受けさせ、蛇の目不動産に担保提供させた行為は、メインバンクという優越的地位を濫用して、蛇の目ミシン側にとっては何の必然性もメリットもない巨額の債務を肩代わりさせたものであり、公序良俗に反する。被告濱嶋及び岡田は、法的にも事実上も未だ不安定な要素を孕む本件担保提供について、この間の経緯を熟知していたのであるから、債務ないし責任の不存在を主張して蛇の目ミシンの被害を最小限にすべく努力する義務があったのに、逆に債務の減免措置を要求する蛇の目ミシン側の動向を威圧して、債務を確認・弁済する旨の協定を締結させ、蛇の目ミシンの被害を確定させたものである。
(三) 旧埼玉銀行系のジェー・シー・エルの債務を蛇の目ミシンが保証する必然性は見当たらず、ジェー・シー・エルに対する債権を無税償却するには、特別清算しかなかったわけではなく、ジェー・シー・エルを破産させれば足りた。
(四) 小谷の日本リース(ジャパン・エル・シー・ファイナンス)に対する借入金について蛇の目ミシンが物上保証する必然性も合理性もなかったのであって、被告濱嶋及び岡田は旧埼玉銀行の代表者として小谷との間の折衝にあたっていたから、右物上保証の経緯をよく知る立場にあった。したがって、物上保証の効力について十分吟味するとともに、蛇の目ミシンの利益を損なわないように行動すべきであったにもかかわらず、同被告らは担保物件の処分を急ぎ、蛇の目ミシンの損害を確定させたものである。
(五) 原告らは、請求原因事実について、小谷に対する恐喝被告事件の刑事公判の傍聴記録、蛇の目ミシン関係者の証言、蛇の目ミシン及び蛇の目不動産の取締役会及び常務会の議事録等の証拠により立証できる。
(六) 訴訟提起の請求をしていないという手続上の瑕疵と、原告の悪意とは無関係である。また、これについては訴訟提起後の追完を認める裁判例や学説があるところ、原告らは、本件代表訴訟提起直後の平成五年八月五日、改めて蛇の目ミシンに対して本件代表訴訟の請求全部につき訴え提起の請求をしたが、その後三〇日が経過しても蛇の目ミシンは被告らに対して訴えの提起をしていないから、瑕疵は治癒された。
第三 当裁判所の判断
一 悪意の意義等について
1 商法二六七条五項、六項、同法一〇六条二項は、株主代表訴訟において、被告が、原告の訴えの提起が「悪意ニ出タルモノ」であることを疎明したときは、裁判所は担保の提供を命ずることができる旨を規定する。「悪意ニ出タ」とはどのような場合を指すのか、文理上一義的に明らかであるとはいえないのであって、その解釈にあたっては、「悪意」という文言のほか株主代表訴訟と担保提供制度の趣旨、提供される担保の目的、悪意認定の手続上の制約等を念頭に置きつつ、代表訴訟の濫用を抑制し取締役等を不当な訴え提起から保護するという担保提供制度の趣旨が活かされるとともに、株主の監督是正権の発動としての代表訴訟が不当な制限を受けることなくその機能を発揮し得るように、バランスのとれた考え方をする必要があると思われる。
2 担保提供命令により提供される担保が、代表訴訟の提起が不当訴訟として不法行為を構成する場合に被告が取得する損害賠償請求権を担保するものであることから考えると、「悪意」を不当訴訟の成立要件と関連する認識、意思としてとらえることは自然であろう。また、不当訴訟となる可能性が高い場合には、そうした代表訴訟の提起は、会社に利益をもたらさないものであるだけでなく、取締役等に対して不当に応訴の負担を負わせ、ひいて会社の業務執行等にも好ましくない影響を及ぼし得るものであるから、このような場合に担保の提供を命じることが代表訴訟の提起に対して抑制的に働くとしても、そのことは代表訴訟の機能を不当に制限するものではなく、担保提供制度の趣旨に適うものとして合理的であるということができる。
ところで、訴えの提起が不法行為となり得るのは、提訴者がその訴訟において主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものである上、同人がそのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たのにあえて提訴したなど、裁判制度の趣旨に照らして著しく相当性を欠く場合に限られる(最高裁昭和六三年一月二六日判決・民集四二巻一号一頁)。原告は、担保提供を命じ得るのは、提訴者において、その提訴にかかる請求が理由のないものであること(右判例の表現に引き直せば、その主張する権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものであること)を認識していることの疎明があった場合に限られる旨主張する。しかし、担保提供が右の場合に限られるとすれば、過失による不当訴訟の場合を一切除外することとなって妥当ではない。担保の提供は、将来被告が損害賠償請求権を取得する可能性に備えたものにすぎず、また、通常は訴訟の初期の段階で、疎明に基づいて命じられるものであることも考慮すると、右の認識の疎明は必ずしも要求すべきではなく、請求原因の重要な部分に主張自体失当の点があり、主張を大幅に補充あるいは変更しない限り請求が認容される可能性がない場合、請求原因事実の立証の見込みが低いと予測すべき顕著な事由がある場合、あるいは被告の抗弁が成立して請求が棄却される蓋然性が高い場合等に、そうした事情を認識しつつあえて訴えを提起したものと認められるときは、「悪意」に基づく提訴として担保提供を命じ得ると解するのが相当である。けだし、右の場合には、不当訴訟となる可能性が高く、かつ、その重要な要素たるべき事実を認識しつつあえて提訴する主観的態様は十分に「悪意」と評価し得るものだからである。もっとも、請求の認容の可能性あるいは請求原因事実・抗弁事実の立証可能性に関する判断は、いわば本案の審理・判断を先取りするものとなるから、担保提供命令申立事件の手続において疎明により右可能性の存否を判断するについては、慎重たらざるを得ない面があろう。
なお、代表訴訟の提起が手続上明白に違法である場合も、そのことを認識しながらあえて訴えを提起したときは、応訴について被告に相当の負担を負わせることがあり、不当訴訟が成立する可能性があるから、担保提供を命じてよい場合があり得ると考えられる。
3 提供される担保の目的が不当訴訟に基づく損害賠償請求権を担保することにあるという点から出発する、右のような「悪意」の解釈は、しかし、株主代表訴訟における担保提供制度のすべてを説明するものではない。右制度は、もともと、株主権を濫用し、不当な利益を得る目的で代表訴訟を利用する、いわゆる会社荒らしに対処するために設けられたものであり、提訴者が代表訴訟を手段として不法不当な利益を得る目的を有する場合には、当該訴えの提起が訴権の濫用として不適法となるかどうかという問題とは別に、担保の提供を命じ得るものと解すべきである。そして、右のような、正当な株主権の行使と相容れない不法不当な目的に基づく訴え提起については、それ自体として会社制度の健全な運営に対し有害であって抑制されるべきものであるから、不当訴訟の具体的な可能性についての疎明がない場合でも、その一般的な可能性に備えるものとして(右のような訴え提起は、目的の不当性に加えて、請求の成否自体を必ずしも問題にしないところからも、不当訴訟となる一般的可能性は高いといってよかろう)、担保提供を命ずることができると考えるべきである。
ところで、代表訴訟は個々の株主に会社運営についての監督是正権の行使として会社の有する権利の行使を認めるものであるが、代表訴訟に勝訴することによって利益を得るのは会社であって、訴訟を提起した株主自身は、直接には何らの利益も得ることはない。それにもかかわらず代表訴訟を提起する株主には、純粋に株主としての利害意識や愛社精神だけではない、何らかの個人的な意図、目的、感情が働いている場合が、少なくないであろう。株主は純粋に会社のために訴えを提起すべきであり、それ以外の動機・目的があれば、常に不当な目的があるものとして担保提供命令の対象となるとするのは、代表訴訟によって株主の会社運営に対する監督是正機能が発揮されることを期待するという見地からは、いささか非現実的な嫌いがある考えのように思われる。また、他の動機・目的があったとしても、取締役等の責任が明らかにされ会社の被った損害の回復が図られるのであれば、代表訴訟の狙いとするところは達せられるという面もある。こうした点を考慮すると、担保提供の命令による抑制の対象とすべきなのは、前述のように、代表訴訟を手段として不法不当な利益を得る目的を有する場合等、正当な株主権の行使と相容れない目的に基づく場合に限るべきであって(ただし、右目的の認定にあたっては、その性質上、原告の日頃の行状や提訴に至る経緯から推認することが許されるのはいうまでもない)、右対象を、訴えの提起に個人的な意図、目的、感情が伴っている場合一般に拡大することは相当ではない。ただし、それ自体として「悪意」に該当しない意図、目的等であっても、前記不当訴訟との関連における「悪意」を認定するについて、事情のひとつとなることはあり得よう。
4 なお、本件本案訴訟のように複数の被告に対する複数の請求が併合提起されている場合、担保提供の命令が被告ごとになされるべきは当然として、複数請求の関係でも、複数の訴えが併合されているのであるから、担保提供の要否及び提供すべき担保の額は、個々の請求ごとに判断するのが本則であろう。もっとも、不法不当な目的に基づく訴え提起の場合は、原則として、併合提起された全体の訴訟について「悪意」の有無を判断することになろうし、不当訴訟となる可能性が高い場合の「悪意」の有無は個々の請求ごとの判断になるであろうが、この場合でも、例えば一連の事実を基礎に複数の請求がなされているようなときは、総合的に担保提供の要否を判断するのを相当とすることがあり得よう。そして、そうした場合には、請求の関連性、「悪意」認定の理由等、諸般の事情を考慮して、複数の請求について一個の担保を命じることも許されると解すべきである。
二 本件における悪意の有無
以上を前提に、本件における悪意の有無について検討する。
1 本件本案訴訟提起の目的等について
(一) 原告らには、本件本案訴訟を通じて旧埼玉銀行の責任を明らかにするという目的があることが認められ、また、同行及びその出身取締役に対する反感があることも窺われなくはないが、このような目的等があったとしても、正当な株主権の行使と相容れない不法不当な動機・目的があるということはできないから、「悪意」があるとはいえない。
甲野明が提唱した「経営刷新委員会」のメンバーとして原告乙川の名が上げられているが、これが同原告の意思に基づくものであること、本件訴えが蛇の目ミシンの経営に関与することを目的としたものであることを認めるに足りる資料はない。
(二) 原告乙川は平成元年六月から同五年六月まで蛇の目不動産の取締役の地位にあり、その間に東亜ファイナンスに対する蛇の目不動産の担保提供及び両社間の協定書作成が行われているが、この事実が同原告が被告濱嶋らに責任がないことを知っていることを示しているとするのは論理の飛躍がある。また、右担保提供等が違法であるとすれば、同原告も蛇の目不動産の取締役としての責任を問われる可能性があることになるが、提訴者が会社に対して損害賠償責任を負うべき立場にあるとしても、そのことは、直ちに「悪意」の存在と結びつくものではないし(しかも、同原告は、蛇の目ミシンに対して有責というわけでもない)、右のような可能性が存在するからといって、同原告が被告らの責任追及を最後まで行う意思を有していないと即断することもできない。
(三) 亡丙山春子が、自らは訴え提起の意思がなく、単なる名目的な原告であったと認めるべき資料はない。
2 責任原因の内容に関連する主張について
(一) 光進の株式問題の処理に当たった被告らの判断等が、当時の状況の下において、蛇の目ミシンの社会的信用の保持の上で最善と思われるものであったかどうか、蛇の目ミシンの利益を守る上で被告らによる債務負担・担保提供等の処理が、実体上あるいは会社内部の手続上、合理性・相当性を有し被告らに善管注意義務・忠実義務違反がなかったといえるのかどうか等の点は、現段階で右主張の当否について一定の判断を示すに足りる疎明があるとは到底いえず、まさに今後の双方の主張・立証をまって判断すべき事柄である。
(二) 別紙第三の一(前記「本件本案訴訟の概要」一の1)の小谷による三〇〇億円の恐喝被害に関し、ジェー・シー・エルの首都圏リースからの借入に対する、蛇の目ミシンの保証と本社ビルへの抵当権設定が行われた当時、被告岡田及び同濱嶋が取締役に就任していなかったことは争いがない。この件に関しては、右物上保証等により既に実質的な損害が発生していることが一応認められ、その後蛇の目ミシンの実質的負担を増大させる行為があったかどうかは、現段階での主張や疎明からみる限り、極めて疑わしい。また、右物上保証等に無効事由があり、被告岡田及び同濱嶋には取締役就任後その無効を主張する義務があった(主張していれば、そのとおり実現できた蓋然性が高かったというところまでの立証が必要であろう)との原告の主張も、その主張の内容等から見て、立証の見込みが低いものと予測せざるを得ない。右の点は、主として原告の主張の内容から判断できることであるから、原則的に原告の悪意が推認される場合であるというべきである。
(三) 東亜ファイナンスの光進に対する二五〇億円の貸付について、平成二年六月一四日、ニューホームクレジットが債務引受をし、蛇の目不動産が担保提供をしたことに関して被告らの責任を追及する請求(別紙第三の二・前記「本件本案訴訟の概要」一の2)は、ニューホームクレジットには右債務を弁済する資力はなく、蛇の目不動産ひいてはその一〇〇%株主である蛇の目ミシンがこれを負担することになり、同額の損害を被ることが明らかであったと主張するものであるが、子会社が債務引受または担保提供をしたからといって、特段の事情がない限り、それによって親会社に引受額又は被担保債権額相当の損害が生じるものでないことは明らかであり、別個の損害を主張する余地はあるとしても、右のような主張に基づく請求は認容される見込みは著しく低いというべきである。また、右債務引受等が子会社の行為であるところから、蛇の目ミシンの取締役等の責任を認めるべき根拠については特に具体的主張がなければならないと考えられるが、右の件が蛇の目ミシンの取締役会で議決されたことなどの具体的な責任根拠についての主張はない。さらに、甲一六によれば、平成四年六月一一日に、旧埼玉銀行、東亜ファイナンス等と蛇の目ミシン及び蛇の目不動産との間で締結された協定は、本件東亜ファイナンス関係の債務について蛇の目ミシンに対する新たな債務負担をさせたものではないことが、一応認められるから、右協定を損害の根拠とすることもできない(原告の主張自体、いかなる損害が発生したことになるのか、極めてあいまい不明確である)。そして、この点も、原告の主張の内容そのものに関する事柄、あるいは原告が取締役をしていた時期に蛇の目不動産が当事者となってした協定に関する事柄であるから、右のような事情を認識しつつあえて訴え提起をしたものとして、原告の悪意を推認してよい場合であると考えられる。
(四) 商法二六七条一、二項所定の訴え提起の請求の手続が履踐されなかった場合については、原告援用のような訴え提起後の追完を認める裁判例や学説もあり、実務上の取扱いが確定しているとまではいえず、不適法な訴訟をあえて提起したとまでみることはできないから、右手続の瑕疵の故に原告に悪意があるとすることは相当でない。
3 その他の被告らの主張・疎明を考慮しても、右2の(二)、(三)に記載したもの以外に担保提供を命じるのを相当とするだけの事由は認められない。
三 担保の額について
1 担保の額の決定基準について
提訴者の悪意が認められた場合に提供を命じるべき担保の額を決定するについては、右担保は提訴が不法行為を構成する場合に被告が取得する損害賠償請求権を被担保債権とするものであることから、被告が被ると予測される損害額を考慮に入れるべきことは当然である。しかし、考慮すべき要素を右損害額のみに限るのは相当でなく、担保の額は、右損害額のほか、不当訴訟となる蓋然性の程度、悪意の態様・程度、悪意を認定された請求が当該訴え全体の中で占める位置、責任を問われている被告の数等、当該訴えの提起に関する諸般の事情を総合的に考慮した上、裁判所の裁量により決定することができると解すべきである。したがって、担保の額を機械的に請求額の一定割合としたり、常に被告が被るべき損害額の全額を担保できる額としたりすることは、相当ではない。
2 本件における担保の額
本件において悪意を認定することができる請求は、各被告いずれにとっても自己が被告となっている複数の請求の一部にすぎないが、その請求額や各被告に対する訴え全体の中で占める位置等からみて、担保提供の上で無視してよいほどのものとはいえない。もっとも、複数の請求の一部にすぎないことから、弁護士報酬を始めとする応訴の費用・負担は、悪意を認定することができる請求のみが提訴の対象となっている場合と比較して軽く評価されることにはなる。
以上のような観点から、本件においては、主文記載のとおりの担保の提供を命じるのが相当である。
(裁判長裁判官金築誠志 裁判官深山卓也 裁判官伊東顕)
別紙
請求の趣旨
一 被告らは各自、蛇の目ミシン工業株式会社(本店所在地東京都中央区京橋三丁目一番一号)に対して、被告小谷光浩、同斉藤洋、同浜島健三、同岡田英夫においてはそれぞれ金八八〇億円、同安田正幸においては金六三〇億円、同森田暁においては金五五〇億円、およびこれに対する本訴状送達の翌日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。との判決ならびに仮執行の宣言を求める。
請求の原因
第一 事案の概要
一 原告両名は、商法二六七条一項、二七五条ノ四後段の規定に基づき、平成四年九月七日到達の内容証明郵便を以て、蛇の目ミシン監査役に対し、同社において被告らに対し後記の各行為の責任を追及して損害の賠償を求める訴えを提起するよう請求したが、これを受けた同社監査役は同法二六七条二項所定の期間を経過した後である現在に至るも調査中と回答するのみで、その訴えを提起しない。
よって、原告両名は、蛇の目ミシンの株主として同社のために、本件代表訴訟を提起するものである。
二 本件は、仕手グループ光進の小谷光浩による「蛇の目株式買い占め事件」で発生した二〇〇〇億円を超える巨額の債務について、蛇の目ミシンがそのメインバンクである旧埼玉銀行から事実上その全てを押しつけられ、かつては優良な財務体質を誇った同社が、今では債務超過に近い状態におかれるに至った責任を問うものである。株式買い占めによって大株主となった小谷とその仲間の安田正幸を蛇の目ミシンの取締役として受け入れるについても、小谷から三〇〇億円を喝取されるについても、また小谷からの株式引き取り要求に応じて光進の肩代わりをするについても、いずれの場合も、旧埼玉銀行から送り込まれた取締役が同行首脳と協議の上、同行の債権回収等の利益を優先して決定してきた。その結果が、現在の蛇の目ミシンの目を覆わしめるばかりの経営状態である。
以上の事実関係に鑑み、本件では、蛇の目ミシンのプロパーの取締役は、銀行による構造的な蛇の目ミシン資産空洞化に主導的に関与する余地はなかったことが明らかであるので、小谷、安田の外は旧埼玉銀行から送り込まれ本件の処置に直接手を下した斉藤、森田、浜島、岡田を被告として、その責任を追及するものである。
第二 当事者
一 訴外蛇の目ミシン工業株式会社(以下「蛇の目ミシン」という)は、ミシン、裁縫用品類および服飾品類の製造ならびに販売等を主たる営業の目的とする株式会社であり、原告らはいずれも本訴訟提起の六ヵ月前から引き続き蛇の目ミシンの株式を所有している株主である。
二 被告小谷光浩(以下「小谷」という)は平成元年六月二九日から平成二年九月一九日までの間、被告安田正幸(以下「安田」という)は平成元年六月二九日から平成三年一月一六日までの間被告斎藤洋(以下「斎藤」という)は昭和六一年六月二七日から平成三年一月三一日までの間、被告森田暁(以下「森田」という)は昭和六三年六月二六日から平成三年一月三一日までの間、被告浜島健三(以下「浜島」という)および被告岡田英夫(以下「岡田」という)は平成三年六月二七日から平成四年六月二六日までの間、いずれも蛇の目ミシンの取締役の地位にあったものである。
第三 被告らの取締役としての有責行為と損害
一 小谷による三〇〇億円恐喝に関する件
1 株式買占め問題
小谷は、株式会社光進(以下「光進」という)の代表取締役であったが、昭和六一年二月頃から、株式会社ナナトミ(以下「ナナトミ」という)を経営する安田と共に、ナナトミ、光進およびその子会社である株式会社ケーエスジー(以下「ケーエスジー」という)あるいは個人の名義により蛇の目ミシンの株式(以下「蛇の目株」という)の買い占めを開始し、小谷および安田の支配する蛇の目ミシン株は、昭和六二年頃には発行済株式総数約一億五、二四六万株の内約六〇〇〇万株(約39.35%)を占めるに至った(以下「株式買い占め問題」という)。
反面小谷は右株式買い占めの費用を借入で賄っており、殊にいわゆる地産グループの信楽ファイナンス(後にミヒロファイナンスと商号変更。以下「ミヒロ」という)からの借入は、金九六六億円に達し、その返済等の資金繰りに窮していた。
2 旧埼玉銀行による森田および斎藤の送り込み
株式会社埼玉銀行(後に株式会社協和銀行と合併して株式会社協和埼玉銀行となり、さらに平成四年九月から株式会社あさひ銀行に商号変更。以下「旧埼玉銀行」という)は、同行の指導の下に株式買い占め問題に対処するため、昭和六一年六月に斎藤を代表取締役副社長として、また昭和六三年六月に森田を代表取締役社長として蛇の目ミシンに送り込んだ。
3 脅迫行為
右のとおり資金繰りに窮していた小谷は、森田に対して、何らその必要も義務もないのに「貴殿所有の蛇の目ミシン工業(株)一七四〇万株のファイナンス或いは買取につき蛇の目ミシン工業(株)が責任を持って行います」という内容の念書(以下「森田念書」という)を作成させこれを取得したことを奇貨とし、右森田念書の存在を利用して金員を喝取することを企てた。
小谷は平成元年七月から八月にかけて、斎藤等に対し、森田念書と共に小谷等の支配下にある蛇の目株を同人の後ろ盾である暴力団関係者へ譲渡する手続きが既に進んでいるが、右手続きを解消したいのであれば三〇〇億円の資金が必要であるとしてその提供を要求し、これに応じなければ暴力団関係者が蛇の目ミシンに大株主として乗り込んできて同社およびそのメインバンクである旧埼玉銀行の業務および信用を著しく侵害するばかりか、暴力団関係者により斎藤等の生命身体にも危害が及ぶことになる等と申し向けて斎藤等を脅迫した。
4 小谷に対する三〇〇億円の交付
小谷の右脅迫行為に畏怖した斎藤は、蛇の目ミシンの取締役会に諮ることなく、専らその出身母体である旧埼玉銀行の代表取締役頭取伊地知重蔵(以下「伊知地」という)、代表取締役常務増野武夫(後に頭取、以下「増野」という)および同佐藤俊夫(以下「佐藤」という)ら同行首脳と協議した結果、同年八月一〇日から一一日にかけ、小谷に対し要求通りの三〇〇億円を交付するに至った。
そして右金三〇〇億円交付にあたっては、安田の提案により旧埼玉銀行の関連ノンバンクである株式会社首都圏リース(以下「首都圏リース」という)が同じく旧埼玉銀行の関連会社である株式会社ジェー・シー・エル(同社代表取締役栗田淳は旧埼玉銀行出身、以下「ジェー・シー・エル」という)に三〇〇億円を貸し渡し、ジェー・シー・エルからナナトミを経由して光進にこれを交付するという法的外形をとっているのであるが、右首都圏リースとジェー・シー・エルとの間の金銭消費貸借契約に基づく貸金返還債務について蛇の目ミシンが保証債務を負担するばかりか、右貸金返還債務を被担保債権として蛇の目ミシンの本社ビルの敷地建物に抵当権が設定された(以下右保証債務と併せ「本件物上保証等」ともいう)。
ところで、形式上首都圏リースの債務者となっているジェー・シー・エルは特段の資産を有しておらず、また法形式は右のとおりとされているものの、本件三〇〇億円は所詮旧埼玉銀行が小谷に恐喝された金員であって、後日小谷から返済を受けられる性質のものではなかった上に、前述のとおり当時光進は蛇の目株買い占め資金等を借入金で賄っていたため、その返済のための資金繰りに窮し破産同様の状態にあったのであるから、初めからその回収は事実上不可能と認識されていた。
5 首都圏リースに対する債務引受け
(一) 旧埼玉銀行派遣の浜島及び岡田の行動
浜島は、旧埼玉銀行在職当時から東京営業部担当の常務として旧埼玉銀行の立場で小谷問題に深く関わってきたが、旧埼玉銀行から蛇の目ミシンに派遣(平成三年二月から同年六月までは顧問、同月から平成四年六月に退任するまでは代表取締役副社長)されてからも、旧埼玉銀行の意向を受け、蛇の目ミシンの負担の下に首都圏リースの債権回収を確実ならしめること等、旧埼玉銀行およびこれと一体の関係にある首都圏リースおよび後述の東亜ファイナンス株式会社(以下「東亜ファイナンス」という)等の利益を図るべく行動しており、岡田も同様であった。
(二) 保証契約および抵当権設定の無効
a 取締役会決議の欠如
本件物上保証等の負担はその莫大なる金額からして蛇の目ミシンにおいて事前の取締役会の承認を要するところ、これについては右に述べたとおり旧埼玉銀行派遣の斎藤が伊知地頭取他の小数の旧埼玉銀行首脳と協議したのみであって、蛇の目ミシンの事前の取締役会決議は存在しない。
強いていえば、平成元年八月八日に右物上保証等の負担を追認したかの如き取締役会決議がなされたようであるが、ここでは三〇〇億円が小谷に喝取されたものとの説明は一切なく、ジェー・シー・エルの業務拡張を目的とする旨の虚偽の説明がなされ、事情を知らない大多数の取締役を錯誤に陥れて決議を成立せしめているのであって、法の定める取締役会制度の趣旨に照らし、とても本件物上保証等の負担を合法化し得るものではない。
b 旧埼玉銀行および首都圏リースの悪意
首都圏リースを含む旧埼玉銀行側は、森田、斎藤等を蛇の目ミシンに送り込むなどして株式買い占め問題等小谷ないし光進への対応の主導権を握り、頭取を始めとする同行の最高首脳が森田、斎藤等に直接指示し、承認を与えるなどしていたものであって、当然のことながら、本件物上保証等の負担が小谷に喝取された三〇〇億円の回収を蛇の目ミシンから行わんとする便法であり、手続き的にも蛇の目ミシンの適法な取締役会決議を欠くことを熟知していた。
従って、首都圏リースを含む旧埼玉銀行側は、右事実につき悪意であり、民法九三条但し書きの類推適用により、本件物上保証等の負担行為は旧埼玉銀行側との関係で無効である。
(三) 浜島等による蛇の目ミシンの三〇〇億円の債務引受
a 債務引受契約の締結
蛇の目ミシンは、平成三年度に開かれた取締役会において、本件物上保証等の負担に加えて蛇の目ミシンがジェー・シー・エルの首都圏リースに対する右三〇〇億円の債務を引き受けることを内容とする債務引受契約を締結することを決議し、その結果蛇の目ミシンとジェー・シー・エルおよび首都圏リースとの間で三〇〇億円の債務引受契約が締結された。
b 浜島らの果たした役割
前述のとおり、旧埼玉銀行は浜島および岡田を同行の意向の下で、且つ同行の債権保全を主たる目的として蛇の目ミシンに送り込み、現実に行動せしめた。
その一環としてなされたのが、前記債務引受契約であって、基になる本件物上保証等の負担が何れも無効であるから、浜島は蛇の目ミシンの代表取締役として旧埼玉銀行側に対してその無効を主張すべきところ、善管注意義務等に違反して旧埼玉銀行側と共謀の上、同行の債権の確保を図るため、岡田と共に「この会社は銀行管理である」「旧埼玉銀行の支援がないと蛇の目ミシンは倒産する」などと他の取締役を威迫誘導しつつ、主導的に右債務引受契約を締結する旨の決議を成立せしめ以て三〇〇億円の損害を蛇の目ミシンに与えたものである。
5 右行為の有責性と有責取締役
以上のとおり、小谷に脅迫されて同人ないし光進に対して三〇〇億円を交付した行為と、蛇の目ミシンをしてジェー・シー・エルの首都圏リースに対する三〇〇億円の負債を引受けさせ、蛇の目ミシンに三〇〇億円の損害を与えた行為とは一連のものである。
前者については、蛇の目ミシンの取締役の地位にありながら同社を脅迫した小谷は勿論のこと、同人の脅迫の理由に使われることが明らかな「森田念書」を漫然と作成し小谷にこれを交付した森田、小谷の脅迫に容易に屈して蛇の目ミシンの取締役会に諮ることすらせず旧埼玉銀行と協議して小谷に要求通りの三〇〇億円を交付せしめた斎藤、および三〇〇億円を融資の形で小谷ないし光進に交付する手段を積極的に提供した安田の四名について、取締役が会社に対して負う善良なる管理者としての注意義務(商法二五四条三項、民法六四四条)および忠実義務(商法二五四条ノ三、以下両者を総称して「善管注意義務等」という)に違反する行為があったというべきである。
また、後者の、本来本件物上保証等が無効であるにも拘らず、蛇の目ミシンをしてジェー・シー・エルの首都圏リースに対する三〇〇億円の負債を引受けさせたことについては、浜島および岡田が本件物上保証等負担の経緯を知りながら、善管注意義務等に違反して蛇の目ミシンの取締役をして右債務引受契約を締結する旨の決議を成立せしめたものである。
以上一連の善管注義務等に違反する取締役の有責行為により蛇の目ミシンに右同額の損害を与えたものであるから、右四名は、商法二六六条一項五号に基づき、蛇の目ミシンに対し連帯して右三〇〇億円の損害を賠償する義務がある。
二 東亜ファイナンスに対する担保負担
1 東亜ファイナンスの小谷に対する融資
小谷は、昭和六三年一〇月頃から、斎藤および森田ならびに旧埼玉銀行の増野に対し、小谷の支配下にある蛇の目株の一部を旧埼玉銀行が買い取ることを要求していたが、旧埼玉銀行側がこれに応じなかったため、同年一二月、斎藤および森田を伴って増野および佐藤を訪問し、蛇の目株二〇〇〇万株を担保に旧埼玉銀行から六〇〇億円の融資を受け入れることを申し入れ、これに応じないときは小谷の支配下にある蛇の目株を住友銀行グループの支配下に移す旨通告した。
旧埼玉銀行側は、蛇の目株が住友銀行グループに移ることを恐れ、また小谷側の保有する株式数を減少させるため、小谷の右要求に基本的に応じることとし、同年一二月、小谷との間で当該二〇〇〇万株のうち一〇〇〇万株をジェー・シー・エルが代金三五〇億円で買い取り、また旧埼玉銀行系列のノンバンクである東亜ファイナンスが残りの一〇〇〇万株を担保に光進に対して二五〇億円を貸し付ける旨合意し、右合意は同年一二月中に実行された。
2 ニューホームクレジットの債務引受および蛇の目不動産の担保提供
平成二年六月一四日、小谷と旧埼玉銀行側との間で蛇の目ミシンの関連会社であるニューホームクレジット株式会社(以下「ニューホームクレジット」という)が、光進の東亜ファイナンスに対する右二五〇億円の債務を免責的に引受けることが合意された。
その際旧埼玉銀行および東亜ファイナンスは、蛇の目ミシンの負担の下に東亜ファイナンスの債権を確保するため、斎藤および森田をして蛇の目ミシンの一〇〇%子会社である蛇の目不動産株式会社(以下「蛇の目不動産」という)の所有する東京都豊島区池袋、同中央区茅場町および大阪市心斎橋所在の不動産(以下「三物件」という)および旧埼玉銀行の株式四〇万株を担保に提供せしめた。
ところで、そもそもニューホームクレジットは、平成元年に資本金一億円で設立された会社であり見るべき資産を保有していなかったのであるから、右債務引受および物上担保の設定が、実質上蛇の目不動産ひいてはその一〇〇%株主である蛇の目ミシンに光進の東亜ファイナンスに対する二五〇億円の債務を負担させ、右同額の損害を蛇の目ミシンに被らせるものであることは、当初より明らかであった。
3 蛇の目ミシンと旧埼玉銀行側との債務確認、弁済協定
右の時点で旧埼玉銀行を代表して、小谷ないし光進と交渉していたのは、当時同行の東京営業部担当常務の地位にあった浜島であったが、その後同行から蛇の目ミシンに派遣された浜島と岡田は銀行側の意向を受けて、平成四年六月一一日、前記三〇〇億円ならびに右二五〇億円(一部返済により残額二二二億円)の債務の減免処理を要求する蛇の目ミシン側の動向を威圧して、これら債務を確認・弁済する旨の協定書を銀行側と締結させて、蛇の目ミシンに右二五〇億円の損害を負わせたものである。
4 右行為の有責取締役
右のニューホームクレジットによる債務引受および蛇の目不動産による物上保証の提供は、旧埼玉銀行側主導の下に斎藤および森田が善管注意義務等に違反して小谷ないし光進との間で行ったものであり、浜島、岡田はその後に銀行側の意向を受けてその弁済確認を行わせたものであるから、右行為による二五〇億円の損害については、小谷、森田、斎藤、ならびに浜島、岡田の五名が商法二六六条一項五号により連帯して賠償する責任を負うべきものである。
三 ミヒロに対する一三〇億円の債務保証行為
1 ジェー・シー・エルによる光進の債務の引受
小谷は、前記三〇〇億円の喝取後もミヒロに対する九六六億円の債務の肩代わりを旧埼玉銀行および蛇の目ミシンに対して要求し続けたが、伊知地等の旧埼玉銀行首脳は、ミヒロが地産グループの一員で同行の重要な融資先であること等同行の利益を第一とし、平成元年九月二九日頃、小谷と斎藤、安田が協議の上、光進の負債の六〇〇億円について、ジェー・シー・エルと蛇の目不動産に肩代わりさせ、外形上は小谷がミヒロに対する債務の内六〇〇億円の担保として差し入れていた蛇の目株一七四〇万株を、右両社が差し入れたことにし、六〇〇億円は、右両社の借入金とした。そして翌平成二年三月にこの六〇〇億円はジェー・シー・エルの債務に一本化された。
2 蛇の目ミシンによる債務保証
その後右六〇〇億円の債務については、蛇の目株の下落により担保割れを来すに至ったので、ミヒロから蛇の目ミシンと旧埼玉銀行に対して補填の要求があり、旧埼玉銀行はミヒロを始めとする地産グループが同行の融資先であることからこれに応じることとしたが、同行ではなく蛇の目ミシンの負担においてこれを行うことを企図した。
そこで旧埼玉銀行の意を体した浜島および岡田は、蛇の目ミシンの平成三年度の取締役会において、蛇の目ミシンにとっては、何らの必要も利害もないのに、前記同様善管注意義務等に違反して他の取締役を旧埼玉銀行の意向で威迫誘導しつつ、ミヒロに対するジェー・シー・エルの債務のうち一三〇億円を蛇の目ミシンが保証する旨の決議をなさしめ、その結果、同社にこれと同様の債務保証契約を締結せしめ、以て同社に一三〇億円の損害を与えた。
3 右行為の有責取締役
右のミヒロに対する金一三〇億円の債務保証は、浜島および岡田が善管注意義務等に違反して蛇の目ミシンの他の取締役を威迫誘導して行い、以て蛇の目ミシンに対して右同額の損害を与えたものであると共に、蛇の目ミシンをして右のような債務保証をするに至らしめた根本的な原因を作った小谷、斉藤、安田である。
よって、浜島、岡田および小谷、斉藤、安田の五名が商法二六六条一項五号に基づき蛇の目ミシンに対して右金一三〇億円の損害を賠償する責任を負うものである。
四 日本リース(ジャパンエルシーファイナンス)に対する担保提供
1 小谷の日本リースに対する債務の事実上の肩代わり
小谷は日本リース(子会社で実質的に一体のジャパンエルシーファイナンスの名義を用いることがある。以下「日本リース」という)に対する借入金三九〇億円を蛇の目ミシン側に肩代わりさせようと画策し、安田がその意を受けて蛇の目ミシン側のジェー・シー・エルに圧力をかけ、蛇の目ミシンには小谷側保有の蛇の目ミシン株の確保をもって誘引し、平成二年六月から七月にかけて、ジェー・シー・エルに対しては、三九〇億円の債務を負担させ、蛇の目ミシンにはその物上保証として同社の小金井第二工場の土地建物を担保提供させた。
2 小金井第二工場の売却処分
浜島、岡田は、旧埼玉銀行の意を受けて右担保売却を急ぎ、平成三年一二月蛇の目ミシンの主力工場である小金井工場の半分に当たる右第二工場を二〇〇億円で売却して、日本リースへの弁済に当て蛇の目ミシンに同額の損害を与えた。
3 右行為の有責取締役
右債務引き受け及び物上保証については、小谷、安田が主たる責任を負うのであるが、斉藤もまたこれを容認した責めは免れない。また旧埼玉銀行の意を受けて担保物件の売却を推進したのは、右に述べたとおり、浜島、岡田である。
よって、小谷、安田、斉藤、浜島、岡田の五名は、商法二六六条一項五号に基づき蛇の目ミシンに対し、二〇〇億円の損害を賠償する義務がある。
第四 責任の範囲
一 被告小谷、同斉藤、同浜島、同岡田について
以上四名は前述したとおり、第三、一ないし四記載事実の全てについて有責であるから、蛇の目ミシンの損害合計八八〇億円を賠償する義務がある。
二 被告安田について
安田は、第三、一および三ないし四記載の事実について有責であるから、二の二五〇億円を除く六三〇億円につき、損害賠償の責めに任ずべきものである。
三 被告森田について
森田は、第三、一および二について有責であり、蛇の目ミシンに対し五五〇億円を賠償する義務がある。
第五 結論
よって、原告両名は、商法二六七条二項の規定に基づき、蛇の目ミシンのために、被告らに対し、各自、被告小谷、同斉藤、同浜島、同岡田においては金八八〇億円、同安田においては金六三〇億円、同森田においては金五五〇億円を、本訴状到達の翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を付加して、蛇の目ミシンに対して支払うことを求めるものである。